2019年01月21日

梅は咲いたか・・・桜は・・・

平成31年1月6日(日)

天気は薄日がさして、晴れに近い曇りであった。
10:45過ぎに自宅を出発する。関越自動車道〜圏央道〜東名高速〜西湘バイパスへ入る。
13:00頃、熱海梅園に到着をする。
日曜日とあって、まあまあの人出であったが、駐車場もなんとか梅園入口に近いところに止めることができた。
昨日、1月5日(土)から熱海梅園の「梅まつり」が開催され、今日の日曜日には、「大道芸披露」、「ミス熱海撮影会」などのイベントが予定されているとのことであった。
まずは、昼食タイムとすることにした。あらかじめ検索しておいた、梅園のすぐ近くの食堂に入った。
実に閑散としており、お客は私たち2人だけであった。旨いのか、まずいのか??
何はともあれ、私たちは「かき揚げうどん」と「かき揚げそば」を注文した。
私は、うどんをすすってみたが、ううん〜。別にまずいというわけでもないが、特に旨いというほどでもない。ありきたりのそこそこの味であった。
さて、梅園に入ることとしたが、ゲートから見える梅園の梅は、まだ、ほとんど咲いていない。入園キップ売り場で聞いたら、
「1分咲きです」
とのこと。
何はともあれ、せっかく来たのだからと梅園に入る。
園内を少し歩いてみる。駐車場の車の台数がまあまあなのに、見物客はまばら。時間が遅かったのか、「中央広場」と書かれた場所まで行ってみたが、イベントらしきものは何もない。そして、黒い雲に覆われはじめて寒い。
「つまんないの、水戸の偕楽園の方が、よっぽど綺麗だわ」
家内のグチが始まった。
早々に切り上げて、今夜の宿へ向かうこととする。
駐車場を後にして、山道を登る。砂粒くらいの小雪がちらつき始めた。
「ちゃんと運転してよね」
家内は山道は「トラウマ」なのだ。
ただただ一本道が続く。三島市内を抜けて、どうやら土肥(とい)に入ったようだった。
15:40頃、今夜の宿である「大江戸温泉物語 土肥マリンホテル」に到着した。
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チェックインを済ませ部屋へ入る。
まあまあ、普通の10畳の和室であった。だが、広い窓からの景色は駿河湾が一望できて、何とも素晴らしい。晴れた日には遠く静岡方面がくっきりと見えるらしい。また、夕日がきれいだとのことであった。
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部屋に落ち着いて、コーヒーを一杯。
夕食は2部の入れ替え制で、私たちは19:00からを希望した。
まずは、一っ風呂と1Fの大浴場に入る。お湯はさほど熱くなく、身体が温まるには少し長めに入らなければならなかった。
大露天風呂は2Fとのことであったが、1Fの大浴場にもあまり広くはないが露天風呂があった。やはりお湯はあまり熱くなく、首までスッポリと入って時間に任せた。ほんの少々だが、小雨か小雪が降っていたみたいなので、なおさら長湯をしてみた。
部屋へ帰って、施設案内に目を通すと、「大江戸温泉物語・会員」に入会すると、色々な特典があるみたいだった。
早速、ロビーのカウンターへ行き、説明を聞いたが入会は「無料」とのこと。
さらには、計画していた夕食時の「飲み放題」も¥300引きとのこと。もちろん、すぐに入会をし飲み放題¥300引きをゲットした。他にも、アワビの踊り焼き¥300引きなど、また、チェックアウト時には半年間有効のグループホテルの割引券も貰えるとのことであった。
19:00、バイキング会場へ行く。
やはり海の近くだけあって、魚、魚づくしであった。
私の大好物の「刺身」も各種いっぱい。
他のお客さんは、遠慮してなのか大皿に盛られた刺身は3〜4切れ位しか取らないのだが、
私はというと、つまのまま下に箸を入れて10切れ位をゴッソリ。
お皿の上はみるみる刺身三昧で大盛りとなった。
上機嫌で席に着き、飲み放題が開始された。
まずは、ジョッキのビールを2杯、次からはあまり腹に溜らない物をとメニューを見る。「レモン・サワー」「烏龍・サワー」などもあったが、これらは、どこでもあり、私も呑んだことはある。フッと目に止まったのが「巨峰・サワー」であった。注文をしてみた。
これが大正解であった。刺身と良く合う。4杯、5杯と重ねていく。
他の多くのホテルでの飲み放題は、通常90分なのだが、このホテルでは70分なので、家内と向かい合って座っているのだが、おしゃべりをしている暇はない。食べては呑み、呑んでは食べる。
「他にも、色々な料理があるわよ。取ってきてあげようか?」
と、家内は言ってくれたが、私は刺身さえあれば文句なし。
以前、あるホテルでは呑み放題でお酒が進まず元を取れなかったが、今日のホテルでは食べ物で元が取れなかったかもしれない。
20:30過ぎに部屋へ戻り、TVを見る。しばらく見ていたが、面白い番組もなかったので、早々に布団に潜り込んだ。そのうち、眠ってしまったらしい。

平成31年1月7日(月)
 
朝の目覚めは良好。天気も晴れで申し分がない。
家内は、まだ私が寝ている間の5:30頃、風呂に行ったと言う。
「皆、早いんだわねぇ。女風呂なんかもういっぱいだったわよ」
とのこと。
今日は、特に予定はない。あるとすれば、PCで検索しておいた昼食を、熱海の海の見えるレストランぐで食べようか、ぐらいであった。
10:00頃、チェックアウトをしてホテルを出る。
車を走らせ熱海へと向かう。
昨日のカーナビの案内と違う道なのか、しばらく走ると「有料道路」で、はい、¥200。またしばらく走ると「有料道路」、はい¥200。そして、またまた「有料道路」。いったいこの辺りはどうなっているのか?? やたらに「有料道路」ばかりで小銭がどんどん出て行ってしまった。
三島市内に入る。
「ねえ、三島大社ってこの辺じゃない? 初詣代わりにちょっと寄って参拝でもして行きましょうよ」
との家内の申し出により、急遽、三島大社に向かった。
だが、だが、だが、三島大社の駐車場には長蛇の列。警備員が、
「だめだ、だめだ、もう並べない」と、身振り手振りで猛烈にアピール。
仕方なく、
「こりゃあ、だめだわ」
と、取りやめることとする。
「じゃあ、昨日、あなたが言っていた熱海の神社はどう?」
と、家内。
「ああ、来宮神社(きのみやじんじゃ)か?」
「そう」
カーナビをリセットして走り出す。
30〜40分で来宮神社近くまで来たが、ここも長蛇の列。それも最後尾の車は完全に交差点にまではみ出しており、ここでも、警備員が「だめだ、だめだ」の合図。
「仕方がない、やめよう」
と、昼食をとるためにレストランへ向かう。
カーナビ通りに熱海市内の海岸通りに来たが、店が見つからない。
2度、3度、同じ道を旋回する。レストランにTELで聞いて、やっと店が見つかった。
駐車場がないらしいので、近くのコインパーキングに止める。
歩いて1分。「ナギサ・コーヒー店」であった。
ここでは「とろとろオムレツ」があるらしかったので来てみることにした。
店の入り口は路地の中ほどにあり、これでは道路からは見つけられない。
2階に上がると窓からは、確かに「海」が見えた。テラス席もあったが、夏場だけらしくテーブルにはシートが掛けられてあった。
家内も私も、迷わず「とろとろオムレツ」を注文する。
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うん、確かに卵はトロトロであったが、周りのソースがケチャップで少々薄味で「今一」の感じがした。
窓から沖に「島」が見えた。
「大島じゃないの?」
と、私。
「バ〜カ、こんなに近い訳ないじゃん」
そこで、ウエーターに聞いてみた。
「ああ、初島っていうんですよ」
と、パンフレットまで用意してくれた。クルーズで30分余り、往復¥2,400。夏のお盆の頃は連日満杯だとか。
「ねぇ、ねぇ。あそこがシンガポールだったらいいのにね」
と、家内の脳の回路が混乱しはじめた。
「なんで?」
「私、勤務に行ったらさ、シンガポールへ行って来たのって自慢できるじゃない」
「ふ〜ん」
「それもさぁ、私、熱海からシンガポールに行ったのよ」
「はあ・・・」
「船で30分だったわよ」
「それで、パスポートは?」
「運転免許証を見せればいいのよ」
「はあ?」
「マーライオンは後ろを向いていたので、見れなかったわってね」
「・・・」
もう、何も言うことはございません。
勝手に「アッチの世界」に行っててください。
熱海からの帰りは道路はスイスイと流れた。西湘バイパス〜東名高速〜圏央道。
16:30頃、無事に「ただいま」。

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2019年01月01日

恭賀新年

新年 明けましておめでとうございます


平成最後の年でした。

昨年を振り返ってみれば、私に関しては、
「可」もなく「不可」もなく、
という1年だったように思います。
そして、過ぎ去った月日が「アッ」と言う間だったようにも感じました。

ただ、誕生日で「古希」(70歳)を迎えてしまいました。

♪村の渡しの船頭さんは
 今年60のおじいさん

という歌がありますが、
一昔前までは、「還暦」(60歳)で、すでに「おじいさん」と呼ばれていたのですね。
しかし、現代では60歳では、まだまだ現役という方々が多くなりました。

また、風聞によれば、
「年金の支給を70歳からに・・・」
などとも言われています。

世界の中でも「働き蜂・日本」と言われるこの国で、政府や識者は、
「まだまだ、働け」
と言うのでしょうか?

私に限って言えば、
「とても年金だけでは生きていけない」
のが現状です。

妻が私よりも若く、現役で仕事をしてくれているので、何とか生活ができる。
その妻が怒ったりすると、時として、
「この家の世帯主は私だからね!」
などと嫌味を言われたりしますが、それが現実なのかもしれません。

また、ある日には、
「あなたなんか、大嫌い」
などと言ったりもしますが、
それでいて、趣味が合うためか、食べ歩きや年に少なくとも1〜2回は旅行に出かけます。
まあ、車の中でも多少のバトルも展開されますが・・・。
それでも、美しい景色や現地の名物料理などを食すると現実逃避のリフレッシュができるような気がします。

昨年の春に「風邪」を引きました。
ちょっとした油断からでしたが、
咳が止まらず、日に日に呼吸が苦しく、左の「肺」辺りからの痰が切れなくなって行くのが、
自分でも分かるようになり、病院通いを3週間近くして、やっと何とか治りました。
若い頃には、風邪薬を飲んで、晩酌をグビッとひっかけてベッドで寝れば、2〜3日で治ったように思うのですが、
気持ちは若いつもりでいても、すでに身体は完全に「抵抗力」と「免疫力」が低下していることを思い知らされました。

今年1年は私も体調に万全を期したいと思っています。

皆さま方におかれましても、健やかな1年でありますよう、心より祈念申し上げます。

平成31年・干支.jpg
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2018年11月11日

四つ葉そば・・・・は、☆☆☆☆(星)四つ以上!!

過日、職場の同僚が、
「川原さん、私の知人の知人がやっているラーメン屋が、結構美味しいと評判で人気店らしいんですよ。 一度行ってみませんか」
と、誘ってくれた。
「ほぉぉ、ラーメンは私も大好きなんですよ。ただ、最近は歳のせいか豚骨などではなく、あっさりとした醤油ベースの、昔ながらのラーメンなどが口に合うようになってねぇ」
「大丈夫です、醤油ベースであっさりとしているらしいですよ」
「場所はどこなの?」
「川島町で、川越のすぐ隣町だそうです」
「それは近いねぇ。一度行ってみようか」

と、言うわけで、出かけてみることにした。

平成30年(2018)11月11日(日)晴れ

「結構、朝早くから並ぶらしいですよ」
とのことで、9:00過ぎに川越駅近くで待ち合わせて、私が車を走らせた。
「えぇぇと、16号から254に入ったらどうでしょうか」
「はて、16号から254、と言うと、どういう道順なのかなぁ」
「ええと・・・うまくは説明できないのですが・・・」
「じゃあ、私に任せてくれますか? 川越市と川島町との境の落合橋のすぐ近くに出ますから」
車は、川越の蔵造商店街を抜けて、254の落合橋の手前に出た。
「ここからは、あなたがカーナビになって案内してくれますか」
「はい、それでは・・・そこの信号を超えて・・・」
と、彼の案内通りに走らせた。
「あっ、ここです、ここです」
と、一見しては、やや大きな民家のようで、看板は駐車場の入り口に申し訳程度に、緑地に「四っ葉」と書かれた小さな看板が一つだけであった。
「これじゃあ、初めての人は見落として、通り過ぎちゃうかもしれないね」
「そうですねぇ。でも、一番乗りですよ」
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時計を見ると、何とまだ9:40位であった。
そこで、近くのコンビニのコーヒーを買いに行った。
なるほど、人気店らしく、たった10〜15分位でカップを持って店に戻ってきたが、駐車場にはすでに数台の車が止まっていた。
順番待ちの席に行くと、幸いなことに3番目位に並ぶことができた。
やがて、みるみるうちに駐車場は満車となり並ぶ列も長くなった。

10:20頃、店員さんの案内で店に入った。
カウンター席が7〜8席、テーブル席も20席位でこじんまりしていた。
私は、とりあえず店の看板メニューである「特製・四っ葉そば」と「本日のにぎり」を食べることとした。
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お見事!!

器の真ん中にエベレストができているではないか。

まずは、スープを一口。
== ううん、確かに醤油味のあっさりした味だ ==
次に、メンだ。
== ほう、ほう、ほう、メンもしっかりとスープにからんでいる ==
さて、チャーシューだ。
== うん、うん、うん、しっかりと煮込んであるな ==

ところが、ところが、ここから苦戦が始まった。
エベレストのチャーシューはあまり厚くはないのだが、3枚で山を作っており一枚が「バカでかい」。
食べても、食べても、エベレストが崩れない。
さらには、メンの下にも、今度はコップの底くらいの大きさでやや厚い鶏肉が二切れも出てきたのである。

同僚はというとすでに綺麗に平らげているのに、
私はというと、歳とともに歯も悪くしてしまっているので、まだ肉との戦いで、チャーシューを食べるだけで 一汗かきそうであった。

ふうぅ・・・。
最後にスープをレンゲで二口、三口。

旨い!! いや、実に美味しかった。
やはり、人気店だけのことはあった。

帰りの車の中で、同僚から何と四つ葉とラーメンで有名な某社とのコラボの、その名もズバリ「四つ葉そば」というカップラーメンをもらった。
まあ、今日はさすがに食べることはできないが、いつか小腹が空いた時にでもごちそうになろうかと考えている。

今度は、家内と一緒に食べに行ってみましょうかねぇ。

いい店を紹介してくれてありがとう。

posted by bungetsu at 16:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月22日

下呂温泉〜奈良〜寸又峡温泉

平成30年(2018)9月17日(月・祝・敬老の日)晴れ

8:00頃、自宅を出発する。
関越高速〜圏央道〜中央高速へ入る。
天気も申し分ない晴れであった。3連休の最後の日とあってか渋滞もまったくなかった。
13:00過ぎに諏訪湖SAで休憩と昼食タイムとする。SAからは眼下に諏訪湖が一望できた。
「初めて諏訪湖を見たわ」
と、家内は言ったが、4〜5年前に「甲斐の旅」で諏訪湖畔まで行き、昼食を食べ、諏訪大社へお参りもしているのだがすっかり忘れているらしい。
さて、お腹も満腹になったので、諏訪湖SAから、再び中央高速を走る。
15:00過ぎに中津川ICを降りて一般道へと入る。山道かと思っていたが、それほど急こう配と言うほどでもなく車を走らせる。
だが、山道には違いがない。時々、人家が密集しているが人影はほとんど見えない。
途中、沢に沿った道沿いで一人のお婆さんが歩いていた。車を走らせて行くと、次の人家まではかなりの距離があった。
「あのお婆さんはねぇ、犬を転がして散歩してるんだわね」
と、家内。
私たちの住む住宅街を連想しているようだが、とても、とても、違う気がする。
しかし、どこまで行くのだろうか、と、やや心配しないわけでもなかった。
16:00過ぎに、「下呂温泉・合掌村」へ着く。
ここは、回遊式庭園のように合掌造りの家々が点在し、途中、途中で、山菜料理、鮎、あまご、いわな、などの焼きたての川魚など、そして、白玉だんご、などを食べながら休憩ができる。と、PCでは検索してみたのだが、ところが、ところが、閑散としていて、それこそ人っ子一人見当たらない。
一軒の「喫茶」と書かれた店の前まで行くと、店は開店しているようだが人影は見えない。家内がその店に近寄り、すぐに帰ってきた。
「ノロウイルス発生〇〇〇・・・」と、書かれた張り紙があったとのこと、それじゃぁ人影が見えないのも頷ける。
すぐに車で今夜のホテルへ向かう。
16:30頃、「下呂温泉・ホテルくさかべアルメリア」へ無事到着する。玄関口はやけに派手なキラキラの照明でのお出迎えであった。
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何はともあれ部屋で一休みしようとエレベーターに乗った。ところが、このエレベーターには驚かされた。動き出したはいいが、横に動き出したのである。これには同乗していた人たちも「えっ!」と声を上げた。何と何と、ロープウエーのように急斜面を上って行くのだ。
確かに、このホテルは崖を切り開いて造られたからのようだった。
部屋で一服をしてから、温泉に入る。湯はそれほど熱くもなく、人もまばらであったので、ゆったりと内湯、露天風呂を満喫する。
さて、夕食タイムであるが、実に気前のいいホテルであった。
ビール、サワー、焼酎、ワイン、コーラ、ジュース、etc 飲み物の全てが無料の飲み放題なのである。しかも、時間制限はなしである。
テーブルのコップをカウンターへ持って行って、代わりに飲み物の入ったジョッキとかグラスと交換する。とのことだったが、余りの盛況さに、カウンター内のお兄ちゃんも間に合わない。とうとうビールなどはカウンターに空のジョッキを並べて「勝手に持って行け」状態になってしまった。
家内は、あれも、これも、と、お皿いっぱいに料理をチョイスしてきてくれるし、私は、ビールをガッポ、ガッポ。
夕食を終えると、部屋を移動した。実は、ここからが大変なお楽しみなのである。
19:30・ニューハーフショー第一部の開幕であった。まあ、早く言えば「オカマ・ショー」なのである。
このショーは、家内が「どうしても見てみたい」との肝いりだったのだ。
ホールを囲むように「コ」の字型に席がセッティングされており、なぜか私たちは一番前での「かぶりつき」だったのである。
そして、そして、テーブルには、ウイスキー、焼酎、ウーロン茶、のボトルが並び、呑み放題だったのである。
ショーが始まると、赤、青、黄、などの照明がパッ、パッ、パッ、と切り替わる。
3.ニューハーフショー・第一部 (18).JPG

3.ニューハーフショー・第一部 (9).JPG

私は、ただの「オカマ・ショー」とタカをくくっていたが、とんでもない! 美人?(男)揃いなのである。
顔は、当然、美容整形をしているらしく、皆、一様に美しい。胸も豊かだ。
体系から見ると、東南アジア系に見えた。
私は、思わず「アソコ」を見てしまう、だが、どうやら「切断」しているらしく「平ら」であった。
¥1,000で10枚のチップ券が乱舞する。踊りの途中でも「これは」と思うダンサーに手招きをすると近づいて来る。
客も酔っているが、ダンサーも承知のうえで、胸の谷間、アソコ近く、お尻、とチップ券を挟んでもらう。そして、記念撮影もOK。
このチップ券1枚が幾らになるかは知らないが、これがダンサーたちの「+α」らしい。
「満員御礼」である。
約45分間を楽しむと、部屋を移動する。
20:25・ポールダンスショーが始まった。
私たちは、案内されて、またしても「カブリツキ」であった。
ここでは、本物の美女(女性)が1本のポールにしがみついて、数々の演技を披露する。ここでもチップ券が乱舞した。
4.ポールダンスショー (4).JPG

4.ポールダンスショー (5).JPG

45分のショーを楽しんだ。
一人のダンサーが、たまたま近くに来たので、
「Where did you come from?」
と、生意気に聞いてみた。
「Japanese」
と、あっさりと答えられてしまった。
再び、部屋を移動した。
案内されたのは、ニューハーフショー第一部の部屋であったが、なぜか、今度は真正面の一等席であった。
ここでも「満員御礼」。
もちろん、ウイスキー、焼酎、ウーロン茶、のボトルが並び呑み放題であった。
21:15・ニューハーフショー第二部の開幕である。
第一部と同じダンサーではあるが、まあ、踊りなのか何かは解らないが、音量の高い曲で手足をバタ、バタ。
家内は、なぜか「どブスちゃんが好み」と言って、二人の「ブス子ちゃん」にチップを差し出して記念撮影。
しかも、一人の「ブス子ちゃん」には¥1,000(10枚)で買ったチップ券を束のまま胸元へ。
ーーいくら、ブス子ちゃんが好きだから、とは言ってもーー
とは思ったが、まあ、お好きなように・・・であった。
5.ニューハーフショー・第二部 (3).JPG

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こうして、ショーが終わって部屋へ帰ると22:00過ぎであった。家内はもう一度風呂へ、私は布団に潜り込んだ。

平成30年9月18日(火)晴れ

10:00過ぎ、ホテルを出発する。
東海北陸自動車道〜名神高速〜京滋バイパス〜第二京阪自動車道〜新名神高速〜京奈和自動車道、と目まぐるしく走ること4時間余り。
奈良・東大寺大仏殿に到着をする。
修学旅行で一度来たようにも思っていたが、改めて見るとでっかい、でっかい。
シーズンなのか中学生や高校生の修学旅行生が多いこと、多いこと。
ありがたく拝観させていただきました。
6.東大寺 (15).JPG

次は、春日大社へ移動。
この春日大社は野生のシカが多いことで有名だが、確かにあちらこちらに遊歩していた。
ここでも願い事をいっぱいしました。
7.春日大社 (2).JPG

16:30頃、この旅行の最大イベントである、老舗の「奈良ホテル」に到着する。
創業150年余り。古い建物は、現在、耐震工事中とか。
新館の3303号室へと案内をされた。
「新館とは言っても、もう30年位経っているのですが・・・」
と、案内をしてくれたやや私好みのお姉さんが苦笑い。
8.奈良ホテル (18)・.JPG

部屋はツイーンであったが、まさに老舗ホテルらしく随所に清潔感と几帳面な配置が施されていた。
窓からは木々が茂っていて、さほどの景色は見えなかった。
夕食は、和食のコース料理であった。
最初に「お品書き」の説明があり、お客が一品を食べると、終わった頃を見計らって次の料理を運んできてくれる。
家内はパクパクと食べるのが早い。私はというとビールを呑みながらなのでペースが遅い。
それでも、和服や洋装のウエィトレスのお姉さんたちが何人も巡回してテーブルの様子を伺って、温かいものは温かいままで。冷たいものは冷たいままで、入れ替わり立ち代わり料理を提供してくれた。
ウエィトレスの皆さんも礼儀なども含めてしっかりと教育されている。さすが、150年の重みなのか、と感じさせられた。

平成30年9月19日(水)晴れ

7:30頃、朝食に行く。私は「朝粥セット」を、家内は「和食セット」であった。
隣の席の年配のご婦人4人グループは、スマホを差し出して記念撮影をしてもらっていた。
考えてみれば、1泊/1人5〜6万円の宿泊費は、庶民としてはそうそう出せるものではない。
私たちも、最初で最後であろう、と思われた。
10:00頃、チェクアウト。
ホテルの玄関口に1台の人力車が止まっていた。
「乗ってみようか」
と、私。
「うん、面白そうね」
と、家内。
早速、交渉に入る。
色々なコースがあったが、
「東大寺と春日大社は昨日行った」
と、話したら、
「裏通りの散策気分では・・・」
と、交渉が成立する。
車夫のお兄ちゃんの軽妙な解説で細い路地を幾つも通りぬける。
東大寺の五重塔が一望できる場所で記念撮影。約1時間を楽しんだ。
9.人力車 (8).JPG

11:00過ぎ、「天極堂」という「吉野葛」(よしのくず)の専門店へ行く。ここもPCで検索したら、どうやら老舗らしかった。
色々、迷ったが、私と家内は写真のものを食べた。(名前を忘れてしまいました)。
11.天極堂 (3).JPG

11.天極堂 (6).JPG

12:00近くに店を出て、いよいよ最後の宿である「寸又峡温泉・翠紅苑」へと向かう。
さて、さて、私が、距離計算を間違ってしまい、ここからが大変なことになってしまった。
東名阪自動車道〜伊勢湾岸自動車道〜新東名高速自動車道。
と走るが、新東名高速に入った頃には、陽が山影に隠れようとしている。
カーナビでは行けども、行けども「道なり」としか出ない。
そして、そして、カーナビの到着予定時刻は、何と19:30となっているではないか。
とにかく、早く着きたい、と、気持ちは焦るが、そうそう、スピードを出すわけにもいかない。
やっと、静岡ICを出た頃には、19:00近くになっていた。陽はとっくに暮れていた。
国道を走り、山道へと入る。前も後ろも車は一台も走っていない。
さらに、国道らしいが、山道になると道幅も狭くなり、時々、対向車がくるとどちらかの車が広い場所で待機してすれ違う。
道は、まさに「九十九折」(つづらおり)で、右へ左へとカーブの連続である。そして、小雨も降り出した。
とうとう、家内がブチ切れてしまった。
「あんたとなんか来るんじゃなかった」
「あんたと一緒になったのが、間違いだった」
「さんざん、奈良で遊んでおいて、こんな時間になるなんて、とてもじゃないが、私は我慢できない。何を計算間違いをしているのよ。まったく・・・」
「しかも、真っ暗で道は狭いし、曲がりくねっているし、あんたの運転は下手なくせに・・・」
「車が谷へ落ちても、私は、あんたとなんか死にたくないからね」
まだまだ愚痴が次々と連発されたが、私も運転に集中しているので、黙って聞き流すしかなかった。
19:40頃、やっと「翠紅苑」に到着をした。
いわゆる、温泉街からは離れた秘境に近いのかもしれなかった。
13.翠紅苑 (7).JPG

チェクインもそこそこに、すぐに、夕食となった。宿の人が、
「この時間で良かったですよ。20:00を過ぎると、食品衛生上、食事は全部廃棄するよう保健所から指導されていましてねぇ」
とのこと。まあ、それは口実であって、仲居さんたちの時間外が問題のようにも思えた。
しかし、料理はこのような山奥ではあったが、なかなかのものであった。
慌ただしく夕食を終えて部屋でくつろぐ。温泉は肌がスベスベのようだった。

平成30年9月20日(木)小雨

9:30頃、チェクアウト。
小雨が降っていた。この4日間で初めて雨に見舞われた。
道は、昨日の細い道路をただひたすら下るだけだが、良くもまあこんなクネクネとした道を上ってきたものだ、と、我ながらに感心をした。
静岡ICから東名高速に乗り、一路川越へ。足利SAで休憩と昼食を食べる。
ーーああ、4日間の楽しかった旅も、とうとう終わってしまったかーー
と、やや感傷的になった。
「旅は、行くまでが楽しみだ」
とは、誰かの名台詞が頭を過っていた。
海老名あたりからは圏央道に入り、まさに「道なり」であった。
16:00過ぎ、無事に自宅へ到着した。

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2018年08月14日

食ったド〜伊勢海老!!

平成30年(2018)8月12日(日)晴れ

今日は、職場の同僚と海鮮料理を食べに行く約束の日であった。

8:45頃、川越駅西口近くで同僚を車に乗せる。

関越高速〜外環道〜首都高速に入る。

関越高速では、帰省ラッシュのため、下り車線で新座料金所を過ぎてすぐのあたりから渋滞気味であった。
私たちは上りのため道路もスイスイであった。
運転は私。
車も私の愛車の「ローバー」
快調である。

カーナビの通りに走っていたが、首都高速の葛西付近に来たが、どうもおかしい?
アクアラインの方向とは違う。
だがまあ、カーナビの通りに走ってみよう。

やはりセッティング・ミスであった。
高速道路から一般道へ入ってしまった。
それも千葉市内らしき場所であった。

まあ、こうなれば仕方はない。
とりあえず、道路沿いのマックに立ち寄り、トイレ休憩をしコーヒーを飲んで一息入れる。

再び、カーナビの通りに車を走らせるも、なんと、九十九里浜海岸へ出てしまった。
左手に九十九里浜を見ながら、ただひたすらに走る。
天候は晴れではあったが、たまらなく暑いと言うほどでもなかったためか、
海岸線では海水浴客はそれほど多くはなかった。
海岸線をかなり南下する。
随分と北へ出てしまったものだ、と思ったが、
同僚は海岸線を見てご満悦のようだった。
思わぬ「拾い物」をしたのかもしれない。

11:50頃、やっとお目当ての いすみ市「かねなか」という魚介類専門の料理屋に到着する。
この「かねなか」は、3年前位に家内が「伊勢海老を食べたい」と言い出したため、
Pcで検索をして一番人気であったので来たことがあった。
それを会社の同僚に話したところ「ぜひ、行きたい」という話になって、今日のドライブという訳なのだ。

丁度、お昼時とあって、順番待ちをさせられる。
しかし、店内を見ると、カウンターなどに結構空席がある。
どうやら、仲居さんが足りなくて接待が追い付かないみたいであった。

12:30過ぎに、やっとカウンターの席へ案内される。
待ち時間の間にメニュー表を見ていたので、

私は、「小波の井八丼」と「伊勢海老の塩焼き」(¥2,000)を注文する。
以前、家内と来た時には¥1,000の「伊勢海老の塩焼き」を食べたが、やや小ぶりだったように思ったので、今日は奮発した。
同僚は、私と同じく「小波の井八丼」と「伊勢海老の塩焼き」(¥1,000)を注文した。

料理が運ばれて来て、2人は黙ったまま、ただ食べるのに夢中。
魚は獲れたてとあって、ピチピチしていて今にも跳ねそうなくらい新鮮であった。
また、「伊勢海老の塩焼き」も¥2,000で大正解。
十分な食べごたえがあった。

13:30過ぎに店を出る。
小雨になっていた。

今度は間違いなく、「海ほたる」をカーナビにインプットする。
一路、東京アクアラインを目指す。
途中は田舎道のような所も走る。
雨は降っていない所と降っている所があり、
どうやら、雨雲の通り道があるようだった。

東京アクアラインに入る。
同僚は、「すごい、すごい」と興奮気味。

16:30頃、「海ほたる」に近くなったが、駐車場待ちで長蛇の列。
だが、ここまで来て止める訳にもいかず、列に並ぶ。
30〜40分はかかっただろうか、やっと駐車場に止めることができた。

私は、2回目なのでそれほどの感激はなかったが、
2人でアイスクリームを食べる。
同僚は初めてとあってか一回りをしながら、お土産を買う。
まあ、名前が知れている割には店舗数も少なく、これといった面白い場所もない。
同僚の記念撮影をしてやる。

17:30頃、「海ほたる」を出発する。
海底トンネルを走り、首都高に入る。
5号線で事故があったらしくやや渋滞をする。
事故現場を通り過ぎてからは順調に走れるようになった。

19:00頃、川越駅西口付近の朝の待ち合わせ場所で、同僚を降ろす。
20:00頃、自宅。

シャワーを浴びてから、一日の報告を家内にして、晩酌をコップ2〜3杯呑んで、
メールの整理をする。

やや、疲れたが、これも会社でのコミュニケーションの一つなので大切なことかもしれない。
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千葉県いすみ市「かねなか」

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小波の井八丼
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伊勢海老の塩焼き


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2018年05月09日

「1億年たってもわが地を踏めぬ」

今朝、次のようなニュースが配信された。
<<北、産経新聞などの報道持ち出し、安倍晋三首相批判「1億年たってもわが地を踏めぬ」>>
本文 → https://www.sankei.com/world/news/180507/wor1805070019-n1.html

拉致問題は日本だけではない。北朝鮮と友好国である中国やロシア、そして、日、米、韓、などにも、その現実はあるのだ。
他国は、ある意味では「個人的問題」として扱っている。
しかし、日本だけが大々的に北朝鮮との「切り札」のように、口を開けば「拉致問題」だけだ。
「拉致被害者の会」が、どのようにして国会議員を動かせたかは知らないが、日本も米韓、そして、国連と共に「核廃絶」「核廃棄」を前面に出すべきではないのだろうか。
時流に乗り遅れるなよ、安倍さん・・

日本 ⇔ 北
<拉致問題>
拉致問題は、2002年9月17日に平壌の百花園招待所で日本の小泉純一郎首相と北朝鮮の事実上の国家元首金正日が会談を行い、北朝鮮は「特殊機関の一部が妄動主義及び英雄主義を唱えて日本人を拉致したものである」と説明すると同時に「その事実に対しては深く反省をしている」と謝罪をした。
北朝鮮のその後の拉致被害者調査で、地村保志、浜本富貴恵、蓮池薫、奥土裕木子の4人の生存を明らかにし、横田めぐみ、田口八重子、増元るみ子、原欶晃、松木薫、石岡亨、有本恵子の8人は「死亡」と発表した。さらに、日本側も把握していなかった曽我ひとみの拉致と生存、横田めぐみの娘が生存していることを明らかにした。また、久米裕、曽我ミヨシについては入国自体が把握できないとも表明した。
そして、2002年10月15日、地村保志、地村(浜本)富貴恵夫妻、蓮池薫、蓮池(奥土)裕木子夫妻、曽我ひとみの5人に一時帰国を許可した。この5人は、中には家族が必死に止めた人もいたようだが、日本で暮らす意思表示をしたため、日本の政府もこれを認めた。
その後も北朝鮮としては、生存者の調査及び確認を継続していたが、2016年1月6日と同年9月9日に実施した核実験(2006年10月9日、2009年5月25日、2013年2月12日、2017年9月3日、2018年5月3日にも実施している)及び、同年2月7日に実施したミサイル発射実験に対して日本政府は遺憾の意を表明すると同時に制裁処置として万景峰号(マンギョンボンゴウ)の新潟港への乗り入れを拒否した。
この日本政府の制裁処置を受けて、北朝鮮側は2016年に拉致被害者を調査していた「特別調査委員会」を解散した。
その後の北朝鮮の核実験やミサイル発射に対しても日本政府は抗議をするとともに、次々と制裁処置を強化していったため、日本側からの拉致被害者の調査、帰国などの度々の要求に対しては、北朝鮮側はかたくなに、終始一貫して「2002年の謝罪と5人の帰国で全てが解決済みである」と一歩も譲歩しない見解を発表した。

日本 ⇔ 韓国
<慰安婦問題>
これには、ただ単に第二次世界大戦で日本軍が韓国人を「慰安婦」として徴用した。と言うだけではなく、なぜ日本軍は朝鮮半島でそのようなことができたのかを私なりに簡略的に解説してみたいと思う。

★清王朝の崩壊
広大な国土を支配していた清王朝も19世紀に入ると坂を転げ落ちるように衰退していった。西太后時代に早くも西欧の列強諸国が東南アジアから中国に進出をしていった。特に、イギリスはアヘンを持ち込み中国全土を骨抜きにすることに成功した。清はアヘンを禁止していたため1840年〜1842年にかけてイギリスを追放しようと戦争をしかけた。(アヘン戦争)。しかし、清王朝はすでに衰退をしており防戦することさえできなかった。1842年8月29日、清はイギリスと南京条約を締結しイギリスに対して多額の賠償金の支払いと香港の割譲が定められた。また、アメリカとは望厦条約、フランスとは黄埔条約などを結び諸外国の進出を食い止めることしかできなかった。

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2017年10月10日

舘山寺温泉

平成29年10月9日(月・祝・体育の日)晴れ


1年半振りの旅行であった。
8:00過ぎに自宅を出発する。
関越高速〜圏央道に入る。順調に走っていたのだが、カーナビが圏央道と東名高速の接続データがなかったためか、案内の通りに走ったら、海老名あたりで一般道に出てしまう。しばらく走り、再び東名高速に乗る。
家内はこの間違いで早くもグダグダと文句を言い始める。
足柄SAでトイレ休憩をして一気に浜松まで走る。

13:00頃、カーナビの通りに浜松駅の市営地下駐車場を探すもなかなか見つからず、1〜2度ほど同じ道を走ったような気がする。それでも何とか見つかり無事駐車。
一端、駅に出て北口方面へ。
駅ビルの7階にある「五味八珍」というレストランへ行く。

この店は事前にインターネットで調べた浜松餃子の口コミNo2の人気店であった。
浜松餃子は宇都宮餃子などとともに全国的にも有名な餃子で知られている。
ちなみに、NO1は店の近くにパーキングがなく、駅から歩くと20〜30分かかるということだったので諦めた。

やはり、人気店だけあってか、13:30頃であったが順番待ちであった。
待つこと20〜30分。やっと店内へ案内された。
家内も私も迷わず「名物 浜松餃子セット」を注文した。
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餃子の味は、ニンニクはあまり強くなく割合あっさりしていた。しかし、タレをつけて頬張ると肉汁が口の中いっぱいに広がり、思わず「美味い!」。外はパリパリ、中はジューシー。
ラーメンも魚介類で出汁をとったらしくコクもあって申し分のない味であった。
二人とも無言で息をもつかず一気に平らげてしまった。
これで名物の味を一つ堪能できた。

店を出ると、家内が「喫茶店に入ろう」と一言。これは家内の「クセ」である。

川越などでもどこに行ってもそうだが、食事の後は必ずといって良いほど喫茶店に行きたがるのである。
浜松駅の1階の改札口付近にあった「ドトール・コーヒー」へ入った。
20〜30分位ゆっくりして店を出た。

駐車場へ向かいながら、
「結構、可愛い娘(こ)が多いね」
「そう、私もそう感じてた」
「ファッション・センスもなかなかいいじゃないか」
「そう、そうなのよ。皆、きまってるしね」
「やっぱり茨城の田舎のネ〜チャンとは違うね」
「また、それを言う」
ブスをこいてしまった。

駐車場を出る頃には、はや14:30過ぎ。
予定では、浜松城を見学するつもりであったが、もう時間がない。
急遽取りやめて、舘山寺温泉へ向かうこととした。

浜松市内を抜けるとやや田舎道が続いた。
やがて「舘山寺温泉街」に入った。
温泉街とはいっても浴衣姿でそぞろ歩き・・・というような、土産物店が軒を連ねるようなものでもなく、いたって普通の街並みであった。

15:30頃、今夜の宿の「舘山寺温泉 サゴーロイヤルホテル」へチェックイン。
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部屋で一息ついてから、宿泊セットになっている「浜名湖遊覧船」に乗ることとした。
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遊覧船から見た浜名湖周辺の山並み

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浜名湖遠望


ホテルに帰り、温泉に入ることとした。

10階に「パノラマ展望風呂」があったが、すでに陽が沈んでいたので窓の外は真っ暗闇であった。
露店風呂は、な、何と、浴衣を着て1回廊下へ出て階段を上って11階とのことで、これではさすがに入る気にはならなかった。

ちなみに、こんな景色とか・・・

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夕食は、宿泊客が多いためか2部の入れ替え制とのことだった。
後半の部の19:00過ぎに会場にむかった。
バイキング形式はお馴染みで、料理の品数も多く、味も悪くはなかった。
いや、これまでにも色々なホテルや旅館に泊まったが、美味しい部のランクに入るかもしれない。
家内も満足そうにバクバク。

私は、1600円で飲み放題をオーダーしたが、若い頃ならビールのジョッキ3〜4杯は軽く呑み干していたのだが、最近は、やはり歳のせいかすっかり呑む量が減ってしまった。
生ビールをジョッキ1杯と焼酎の梅サワー割を2〜3杯呑んで十分にいい気持になった。
家内曰く「元が取れなかったね」。
なるほど、メニューを見たら単品の方が安かったかも・・・。

「うなぎの食べ放題」でもあり、串に刺した「かば焼き」を家内が次々と持ってきてくれたが、まあ、こちらもそうそう食べられるものではなかった。でも、4匹位の量は食べたように思われる。
新鮮さと目の前での焼き立てでもあり、身も十分にふっくらとしており、やはり「本場物」は美味しかった。

ほろ酔い気分と満腹感で、醜い腹がまたまた出っ張ってしまった。

やや疲れもあったせいか22:00頃には布団に入り、そのまま眠ってしまいました。

平成29年10月10日(火)晴れ


7:00頃、目覚める。
8:00過ぎに朝食に向かう。昨夜と同じバイキング形式。
例によって、品数も多かったので、あれもこれもチョイスをし、お皿は山盛りであった。

ここで、またまた家内の「クセ」が飛び出した。

家内はホテルの朝食にまずは普通にご飯を食べる。ところが、必ずその後に、パンを2切れとコーヒーを食するのである。
「パンは別腹」
とのこと。

10:00、チェックアウト。

予定は未定。
「浜名湖ロープウエー」に乗る予定だったが、
「昨日、遊覧船で浜名湖を存分に見たからやめよう」
との家内の一言で取りやめることとした。

と、なると、後は帰るだけ。

浜松ICへ向かい、東名高速に乗る。
足柄SAで昼食休憩。
私は、チャーシュウメンを食べた。
ところが、これが「まずい、まずい」。
汁はただのお湯に醤油を混ぜただけのように、全く「コク」もなければ味も薄い。めんにはからんでこない。
チャーシュウはチャーシュウで、でかいのが2切れ入っていたが、これまた、味が全くない。ただの焼き豚の切れ端のようなもの。
これで1160円。ボッタクリも100点満点。いや、200点だ!!

また、家内は、おにぎり2個と野菜スープのようなものであったが、
「何これ、このスープ味もそっけもないわ」
おにぎりも三角の天辺に、申し訳程度に具がチョコンと乗っているだけ。

まあ、こういうところで「美味いもの」が間違いなのかしれないが、それでも、美味いことで評判のSAもたくさんあるようだ。
インターネットで調べてくれば良かった。「後悔先に立たず」。

ともあれ、東名高速〜圏央道〜関越高速を乗り継いで、15:30頃、無事帰宅。

さて、この次はどこへ・・・??


posted by bungetsu at 18:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

イギリス班ミニ同窓会

平成29年2月10日(金)曇り

12:00から二子玉川高島屋ショッピングセンター内の「點心茶屋」で、主に関東地区在住のイギリス班同窓会が開催された。

この「イギリス班」と言うのは、1972年に日本青少年交流協会から主にイギリスへ派遣されたメンバーである。
私は、当時24歳位であったが、応募をしてそれこそ全国各地から集まった応募者〇千人が、確か、ペーパーテストと面接試験を経て40人が選ばれた。
滞在費は全て文部省(現:文化省)と外務省が拠出してくれての、文字通り現地の青少年との交流を目的としたものであった。
他にもフランス班、ドイツ班(2組)、ヨーロッパ班等々があり、当時、導入されたばかりのJALボーイング747型機をチャーターして300人余りが羽田から飛び立った。
途中、給油のためアンカレッジに立ち寄ったが、空港ロビーから外へは出られず、4時間位待たされたような記憶がある。
飛行機はやがて北極点を通過した時、CAから色紙が配られ、イキリス班だけではなく同乗していた他の派遣国の団員ともそれぞれにサインを交し合った。
朝の7:00頃、ドイツのフランクフルト空港に着陸し、ここで、各班が別れ別れとなった。当日は丸1日が自由行動で、数人ずつに分かれてフランクフルト市内を散策した。昼食にはレストランでビールも呑み、さらに、夜はフランクフルト・ソーセージ発祥の地でもあったので、ほぼ全員でソーセージ・バーへ繰り出し、思う存分食べて呑んだ。
翌日からは、私たちの班は列車に乗り、ベルギーに行き、ドーバー海峡をフェリーに乗り換えてイギリスへと渡った。
イギリスでは、青少年との交流会が毎日のようにスケジュールが入り、日本大使館での歓迎パーティーやイギリスの文部省での教育方針などのレクチャーもあった。
午後、スケジュールが終わると、またまた自由行動で、数人ずつでバーへ入ったり、ディスコへ行ったりであったが、北極に近いこともあって、白夜でもあったので、皆で遊びほうけて時間を見たらとっくに11:00過ぎであったりもした。
約1ヶ月かけて各地で交流と観光をし、その後は、再び、ベルギーへ渡り、列車を乗り継いで、パリまで行った。凱旋門を見、コンコルド広場、そして、エッフェル塔が一望できるところで私は記念撮影をした。
フランスからの移動中、私はやや風邪気味となり、着替えやお土産の入ったトランクを持っての行程はとても身体が重く辛い思いであったが、スイスに行き、レストランでの昼食でオニオン・スープが出されて、それを一口飲んだところ日本の醤油の味を思い出して、一気に風邪が吹っ飛んだ。ややホーム・シックだったのかもしれない。
こうして、日本の羽田空港に帰って来た時には、皆、涙して別れを惜しんだ。

このイギリス班40人は、再び、全国各地へと散ってしまったが、10数年前より同窓会が開催され始めた。
他の国へ行った班ではないとのことで、イギリス班がいかに結束強かったかである。

隔年に東京と関西で開催されていたようだが、私は、仕事の都合などて7〜8年前、東京で開催された時に出席をした。
そして、私は今日で2度目であった。

45年の年月は、皆、60代後半から70代になってしまっていたが、良い歳月を重ねたように思われた。
今日の参加者は10人で、介護の話や神社仏閣への巡礼などの話題も出て、少しばかりお爺ちゃんやお婆ちゃんになってしまったのかな・・・と・・・。

でも、昼食も美味しく、話題にも事欠かないひと時がとても懐かしく、嬉しかった。
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2017年01月03日

謹賀新年

明けましておめでとうございます


私のブログを閲覧いただきまして、まことにありがとうございます。
昨年は、残念ながら、私にとっては余り良い年ではありませんでした。
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★以前から抱えていた「坐骨神経痛」が悪化し、日々の可動域も制限せざるを得なくなりました。
疼痛専門の病院に通い、リリカとトラムセットを処方され飲み続けて、何とか痛みの軽減を計っています。
リリカは坐骨神経痛には大変有効な薬剤です。
トラムセットは「麻薬」に次ぐ強力な薬剤で、各種の「痛み」に有効と言われています。

※またまた、内の奥さまの「通信回路」が混乱してしまいました。
トラムセットを飲み始めた頃、
「トラムセットを処方された」
と、言ったところ、
「どういうセットなの? ちょっと見せてよ」
「ここにあるじゃ〜ないか」
「どこに?」
「だから、この薬がトラムセットと言う薬剤なんだよ」
「なんだ、そうだったのか。私はてっきり赤と白の組み合わせとか、赤と青の組み合わせなどのセットになっているのかと思った」
==無理もない・・・薬の名前が紛らわしいのだ==

★7月14日に上前歯2本の差し歯が脱落してしまいました。
その日は木曜日で、かかりつけの歯科医院の休診日。
インターネットで調べた結果、近くの歯科医院が開いていることがわかり、「急患」扱いで診療してもらうこととなりました。
しかし、ここからが戦いの始まりでした。
その後は、今までのかかりつけ医から変更し、ここの歯科医院へ通院することとしましたが、
私は、てっきり脱落した前歯をボンド?などで接着するだけ・・・と思っていたのですが、
「義歯を支えている周りの歯がボロボロで、これでは接着してもまたすぐに外れてしまう」
「周りの歯の治療をしてから、新たな義歯を作りましょう」
と、言うことで、前歯の治療が始まりました。
そして、並行して下奥歯のすでになくなっている歯の部分に義歯を装着する治療も開始されました。
皆さんも経験済とは思いますが、歯医者の治療は少し削ったりすると、
「はい、今日はこれで終わりです。ではまた来週にしましょう」
と、まあ、何とも時間がかかること、かかること。
それでも、虫歯が無かったため、下の奥歯の義歯は割合早く出来上がりました。
そして、前歯の義歯もやっとのことで12月に装着が完了しました。
しかし、上下を装着すると、下の義歯が歯肉に擦れて痛いこと、痛いこと。
何度も何度も微調整をして、今はまあまあの噛み合わせとなりました。
ところが、ところが、
「上の第4歯の根元が歯周病にかかっているので、それも治療した方が良い」
とのこと。
まあ、通い始めたついでなのでトコトン治していただきましょう。
で、ついに越年をしてしまいました。

今年1年も病院通いが続きそうです。

皆さまにおかれましては、良い新年をお迎えされたことと思いますので、
どうぞ、十分に健康にご留意され、素晴らしい、楽しい1年でありますよう祈念申し上げます。
posted by bungetsu at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月27日

♪草津良いとこ〜

平成28年6月26日(日)晴れ

朝から快晴で申し分ない旅行日和であった。
8:00過ぎに自家用車で自宅を出発する。
すぐに関越高速に入る。カーナビでは最短距離の渋川方面を道案内していたが、わざと、遠回りの上信越自動車道の万座方面へと向かう。
万座・軽井沢ICで高速道路を降りる。
軽井沢を抜けて万座温泉の以前来たことのある「万座プリンスホテル」の横を通り抜けて、志賀高原ルートで白根山方向へ向かう。
途中で「道の駅」があったので、休憩がてら立ち寄ってみる。まあ、土産物店をやや大きくしたような感じで処狭しと品々が並んでいたが、特に買いたい品物もなかったので、タバコ休憩とする。
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すぐに出発をして、「白根レストハウス」に向かう。
このレイトハウスからは「湯釜」が見えるとのことであったので、是非とも立ち寄ってみたいところではあったが、高原ルートを行けども行けどもそれらしい建物は見えない。
途中で、ロープを張った休業中の建物があったが、通り越して先へ進む。
しかし、これ以上進んでも何も見当たらないので、前進は取りやめてUターンをして、「白根火山ロープウェイ」に乗ることとする。
ロープウェイ乗り場に着いたのは丁度昼頃であったので、まずは腹ごしらえとレストランへ入る。
メニューは限られており、品数が少なかったが、こんな山の中ではいたしかたないのかもしれない。
私は「チャーシューメン」。家内は「天婦羅うどん」を食べる。
「こんな所で」・・・とバカにしていたのだが、チャーシューメンもしっかりした味であった。家内も天婦羅うどんの「かき揚げ」がサクサクと揚がっていて「美味だった」とか。
また、白根山が火山活動中のため、「白根レストハウス」は休業中との情報も聞いた。
==そうか、さっき通り越したロープの張ってあった建物がそうだったのか==
白根火山ロープウェイに乗った。1,000m位上がるためか、約10分近くの遊覧を楽しむことができた。
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「山麓駅」からは、さらに別のリフトで頂上付近まで行くことができたようだが、リフト乗り場まで20分近くかかる、と言うことで、私は座骨神経痛に悩まされていたため、家内が一人で行くこととする。
私は、山麓駅の喫煙所でタバコをくゆらせていたら、散策コースを歩いて来たという人たちが降りてきた。
喫煙所でしばし話を聞いたところ、3時間余りも歩いたとか。
==う〜ん。とてもではないが、私には歩けない==
やがて、家内も降りてきたので、下りのロープウェイに乗って下山する。
一路、草津温泉「ホテル一井」へ向かう。
カーナビの通りに走ったが、やがて道は細くなり両側に土産物店が立ち並び、散策する観光客があふれる街並みに入る。しかもクネクネとカーブも多い。
「こんな細い道、しかも、人通りの多いところは危ないじゃないのさ」
「別の道があるんじゃないの?」
と、家内が盛んにグチをこぼすも、ゆっくり、ゆっくり、慎重に車を走らせる。一方通行なのたからしかたがない。
それでも、カーナビさん、よくぞ案内をしてくれました。
15:00過ぎに、無事、「ホテル一井」に到着する。
車は別の駐車場へ移動するらしく、キーを預けてチェックインをする。
部屋は本館の8階で「特別室ゆけむり亭」とうたってあった。
8階には6室しかなく、私たちは801号室へと案内された。
==ウワッ、ウワッ、ウワ〜ッ、部屋が広い!!==
6畳と12畳の和室に18畳位の応接間まである。
しかも、部屋の窓からは直下に「湯畑」が見えるのだ。
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ホテルの案内書によると、この草津温泉の第一番目の井戸からのお湯を引いたのがこの宿で、
「一番の井戸」から「一井」としたとかの老舗旅館であった。
16:00、ホテルの1階を出たすぐ右手の建物で「湯もみショー」があるとのことで見物することとする。
TVなどで見ると広い会場かと思ったが、意外とこじんまりしていた。
初めに「草津温泉物語」として初期の頃のビデオが流れ、続いて「草津節」の踊り。そして、お待ちかねの「湯もみショー」となった。
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ショーが終わると、体験ショーもあったが、私たちは傍観していた。
湯もみのお姉ちゃんと記念撮影

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ホテルに帰って風呂に入った。
露天風呂は無色透明でややぬるめであったので、首まで浸かってゆっくり、ゆったりと入った。
大浴場の湯は白濁しており、どうやら源泉が違うようであったが、どちらも、身体の芯から温まることができた。
18:30頃、夕食が運ばれてきた。
老舗旅館だけあって「部屋食」なのだ。
上州牛のすき焼き、小鉢、あえもの、等々、品数が多く、
私はビールを呑みながら箸を進ませたが、とにかく次から次へと運ばれてくる。
==とても食べきれない==
30歳代や40歳代ならペロリと平らげるのかもしれないが、もう、私のような歳になると食も細くなっており、そうそうは食べられない。
食事をするのに ”これほど体力を使うのか?” と考えさせられる一幕であった。
結局は、大部分を残してしまった。
夜は、湯畑がライトアップされており、付近のホテルや土産物店のライトとともに一味違った光景も見られた。
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平成28年6月27日(月)晴れ

7:30頃、朝食を終えて、部屋で一休み。
10:00、チェックアウト。
その後は、渋川方面へ坂を下り、そのまま関越高速に乗り、どこも立ち寄らずに帰路につく。
考えてみれば、「草津温泉」「草津温泉」と簡単に言っていたが、私も家内も生まれて初めての温泉であった。
まあ、喧嘩をしながらも、こうして旅行ができるのは、実に楽しいことと言わなければならないのだろう。
posted by bungetsu at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする