2013年02月10日

日輪の下に

六校応援団連盟による「第38回・日輪の下に」の演技
発表会が不動岡高校で開催された。


参加高校は、「川越高校」「春日部高校」「松山高校」「浦和高校」「熊谷高校」「不動岡高校」の6校であった。

川越高校は第1番目の登場で、息子は司会・進行と演目2つを披露した。

一昨日より風邪気味で、少々発熱もあった。

同じ団員に、

「もしかしたら、出場できないかもしれない。その時は、代わりに司会をして欲しい」

と、メールをしたらしい。

団員同士も結束しており、

「もしかの時は、俺がやるから」

と、言ってくれたとか。

しかし、やはり息子は正義感があったのか、昨夜は早くに就寝をし、体調を何とか保つことができ、今日の出場となった。

1高校が約1時間の中で、どの高校も色々な工夫をした演技を発表し、体育館は割れんばかりの拍手が何度も起きた。

他の高校では、応援団はあまり人気がないのか、団員の数も割合少ない中、川越高校だけは2年生の幹部と1年生の団員を合わせて17人という大所帯であった。

これから春になると、各運動部の色々な大会も活発になると思う。応援団はそのたびに各運動部の応援に忙しくなるようだ。

自分で選んだ道だから、精一杯青春を謳歌してもらいたいと願っている。

応援団・第38回・日輪の下に・2013(H25).2.10(1).jpg

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2013年01月24日

Windows8

平成25年1月22日


昨年、Windows7のPCを買った。

しかし、間もなくWindows8が発売となった。

★機能が優れている。
★アプリケーションの展開が速い。

などの情報が交錯していた。

そこで、思い切って、Windows8をダウンロードで購入することを決意。

夕方よりダウンロードを開始したが、何と、何と、ダウンロードに3時間余りもかかってしまった。

21:00過ぎに、やっとタ゜ウンロード完了。

早速、色々試してみる。

まあ、画面操作は特に変わりはないような気がする。

★再起動が遅い。
★起動してからすぐにはIEの開きが遅い。

これらはスタートアップを減少することで解決できるようだが、今のままで使いたいので、スタートアップは特に変更はしていない。

結論:

通常の、Word、Excel、IE、メールなどの操作だけであれば、Windows7のままで良かったかもしれない。

Windows7に戻すにはリカバリーしか手がないようだ。

まあ、仲良く使って行くとするか・・・。

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110番の日

平成25年1月12日(土)


1月12日は110番の日だぞうです。

川越警察署主催の「防犯キャンペーン」に、息子たちの高校の応援団が協力することとなりました。

13:30頃から、川越駅東口のコンコースで応援団の演技を披露しました。

通常の応援であれば、

「頑張れ!頑張れ!川高!!」


なのですが、今日の応援の言葉は、

「振り込めサギに気をつけよう」


とか、

「許すな!許すな!引ったくり!!」


などの言葉が発せられ、集まった観客からも思わず笑い声が漏れた。

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posted by bungetsu at 13:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月03日

新春のお慶びを申し上げます。

明けましておめでとうございます。


昨年は振り返ってみれば、可もなく不可もなくの平凡な一年だったように思います。

体調も十数年来の「高血圧症」は掛かりつけ医で薬をもらって飲むことで、十分とまではいかないまでも、安定しています。

昨年の暮れから、自称「歴史作家」としての集大成ともいうべき、「大奥の一輪 おるいさま」(仮題)を書き始めました。

大奥の様子を各種の史料に基づいて、できる限り忠実に再現しようと思っています。
そして、「おるい」の大奥での暮らしを通して、大奥に渦巻く悲哀、愛憎を表現できればと考えています。

しかし、大奥の様子が世間に知れるようになったのは、実は、明治になってからです。

それまでは、
「一、奥方之儀 何事ニヨラズ 外様ヘモラシ申マジキ事」
という誓詞を入れさせられていたため、人に語られることなく大奥は闇の中だったのです。

史料が少ないにもかかわらず、これまでに得た知識を駆使して、今はもう原稿用紙250枚位まで書き進むことができました。

書き足しては直し、直しては次の場面へと、日々奮闘している昨今です。

いつかこの作品が、皆さまのお目に留まれば嬉しいことと思いますが、完成はいつになるかは不明です。

では、
皆さまのご健勝を心より祈念申し上げます。
良いお年をお過ごしください。

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2012年10月01日

ラグビー応援

2012(H24)年9月30日(日)


台風17号が関東地方へ接近しているとのことだったが、夕方まではまあまあ晴れた一日だった。

息子の高校のラグビー部の試合が、行田市の進修館高校のグランドで開催された。

初めて行く高校だったので、カーナビを頼りに約2時間かかって会場に着いた。

川越高校:春日部高校の対戦は13:00に始まった。

息子たち応援団は14〜15名と、埼玉県の高校の中では一番大きな所帯で、川越高校の応援を続けた。

試合は、途中で怪我人も出たため、一時中断され、試合が終わったのは15:00頃であった。

息子たちは、演技を披露しながら精一杯の大声で選手たちを励ました。

試合は残念ながら負けてしまったが、川越高校応援団ここにあり、を存分に見せてくれた。

私が帰路について川越市内に入ったとたんに猛烈な雨が土砂降りとなったが、遅れて帰宅した息子は大分雨に濡れたらしい。

負けてしまった「涙雨」だったのかもしれない。

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2012年09月20日

第42回陸上競技大会

秋晴れの一日。

息子の高校の第42回陸上競技大会が、川越運動公園で開催された。

色々変わった種目もあり、

スウェーデン・リレーなどは、第1走者は100m、第2走者は200m、第3走者は400m、アンカーは800mと、走る距離が伸びるものであった。

また、部対抗リレーでは、それぞれが所属をするクラブから代表が出てリレーを行った。
そのリレーでも、各クラブのユニフォームを着て走ることになっており、水泳部などはパンツ一丁で身軽に走れるが、剣道部などは着物に袴姿で何とも走り辛そうであった。
途中で足がからまって走者が倒れるシーンなどもあって、観客の笑いをかっていた。

息子は、100mリレーで参加をしたが2位だった。

大会のフィナーレは全員参加の紅白に分かれての騎馬戦であった。

この騎馬戦では、応援団が司会、進行をすることになっており、その大役を何と息子が取り仕切った。

第48代の幹部となっての最初の大仕事を息子は堂々と司会進行係をやり遂げた。

買ったばかりの長ラン(膝まである学生服とダボダボのズボン)が親としては頼もしい限りであった。
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2012年09月03日

くすの木祭

早いもので、もう秋の気配が感じられる今日この頃となりました。

9月1日(土)と9月2日(日)は、息子の通う高校の「くすの木祭」(文化祭)が開催されました。

私の息子は、応援団に所属をしており、その応援団の演技発表会も開催されました。

午後1:40の開演であるにもかかわらず、私たちは12:45頃会場に入りました。

すでに、前列の良い席は埋まっていましたが、私たちも、何とか良い席を取ることができました。

息子の高校の応援団は近隣でも有名でしたので、1:00を過ぎたあたりから、会場ははや満席の状態になり、急遽、観覧のためのイスが増設されましたが、それでも間に合わなく、会場の後方では立ち見の状態でした。

この「くすの木祭」は、いわば、3年生幹部(第47代)から2年生へのバトンタッチの儀式で、数日前には2年生の第48代幹部が決定し、息子は「統制」という役になりました。

統制の役目は、主に下級生への演技指導が中心で、代々、別称「鬼の統制」と言われ、一番厳しい存在のようです。

現2年生の第48代目の幹部たちは、早くも9月中旬には陸上競技大会の応援などと予定が目白押しに入っているようです。

また、10月に入ると、埼玉県には高校は数ある中で、応援団があるのは6校のみで、その6校が結束して「六校応援団連盟」を結成しており、「六校応援団演技発表会」も予定されています。

先輩から伝えてもらった伝統ある演技をこれから1年間、後輩を指導しながら精一杯がんばり、次の世代へと受け継がれていって欲しいと思いました。

夜、18:30からは「後夜祭」と呼ばれる運動場の特設会場でも応援団は、数々の演技を発表し、盛んな声援が送られていました。

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写真は第47代応援団長の最後の演技発表です。

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2012年08月17日

帰省

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8月12日から16日まで、佐渡の実家へ帰省した。
12日は16:00、新潟港発佐渡両津行のカーフェリーに乗るため、渋滞を予測して川越の家を9:30頃出発した。案の定、関越高速では、花園IC辺りで渋滞にはまりノロノロ運転となった。また、前橋IC付近でもノロノロ。それを過ぎたらまあまあ順調に流れに乗ることができたが、越後川口サーヒースエリアで休憩と食事をし、時計を見たら既に14:00を回っていた。あと50q位だったが、早々に出発をした。長岡IC付近でまたしても渋滞で時計とにらめっこでのやや焦り気味だったが、こればっかりはどうしようもない。何とか渋滞を脱出して佐渡汽船新潟港カーフェリー乗り場に着いたのは、15:30だった。すぐに乗船手続きをしたが車の積み込みが始まっていた。手続きを済ませ車に戻るとすぐに乗船するよう誘導されておけさ丸に乗った。

やはり、お盆ということもあって客室はギューギュー詰めであった。何とか3人の居場所を確保し、やっとホッとした気分になった。

船は2:30かけて佐渡両津港へ着岸したのは18:30であった。
そこから実家までは車で約1時間の距離で、実家に着いたのは19:30過ぎであった。

実家はすでに甥が継いでおり、私は伯父にあたる。
前日、姪夫婦もきていたが、12日の夕方には、甥の長女夫妻が子供を連れて実家に帰ってきた。

甥の長女夫妻にすれば、すでに私は大伯父にあたるし長女夫妻の子供にすれば大大伯父になる。

そして、私の息子にしても、歳はまだ17歳だが、甥の長女夫妻にとっては伯父にあたり、子供にすれば大伯父になってしまう。
何とも複雑な家系なのである。

その夜は、夜遅くまで皆が騒ぎながら祝杯をあげた。

13日は、私の運転で妻と息子を乗せて、佐渡の最南端の沢崎灯台や宿祢木(しゅくねぎ)の保存集落と千石船資料館を見学した。昼食は小木の港の土産物店兼食事処で食べて、早めに実家へ戻った。

その夕方には、甥の次女夫妻も来て、大家族となり、夜は大いに飲んだ。

14日、赤泊港から通称「角栄道路」を通り真野へ出た。そこで、11:00頃であったので、長浜荘という民宿兼食事処で、私と息子は刺身定食特上を頼み妻はエビフライ定食を食べた。佐渡では、まあまあ有名な海鮮食事処であったので、私たちが11:00丁度に店に入ったが、客はまばらだった。しかし、30分もしないうちに店内は満杯となった。

食事の後は、再び、車を走らせ、外海府と呼ばれる佐渡の北の海側へ連れて行った。大野亀や二つ亀という見晴らしの良いところで休憩をし、弾崎灯台という佐渡の最北端の灯台を超えて両津まで行き、妻と息子は土産を買うということで土産物店で色々買い込んできた。

実家に帰ったのは16:30頃であったので、まだ陽も高いということで、私たち家族だけで墓参りに行った。

15日、家内と息子は一足早く帰りたいということで、両津発12:40の船で新潟に渡り、新幹線で川越に帰ってしまった。私は、甥に頼まれて代々伝わる古文書などを読み聞かせ説明をしてあげた。
私の兄、つまり、甥の父親でも生きていれば、そうしたことは兄が詳しく知っているので説明をしたと思うが、突然の死であったため、甥には訳のわからない古文書となってしまったらしい。

16日、10:30過ぎに実家を出発し両津港に向かった。
義姉(甥の母親)は、心づくしにとジャガイモや玉ねぎ、米などを渡してくれた。

12:40発のカーフェリーで新潟港に着き、そのまま新潟亀田ICより高速道路に乗り、一路川越へと走った。川越に近くなるにつれ渋川ICあたりで渋滞、花園ICあたりでも渋滞があったが、19:45頃無事川越に帰ることができた。

今年、なぜ私が佐渡へ行ったかと言えば、すでに、実家は甥夫婦が継いでおり、その娘や孫たちがひしめくことや大伯父の出る幕ではないことは解っていたが、私の妻や息子に最後の佐渡観光をしてやりたかったのだ。

これで、実家で特別なことでもない限り、もう、私は佐渡へ行くこともないであろうと思う、少し淋しい気もするが、世代はどんどん新しくなっており、足が遠のくのも世のならいかもしれないと思った。

posted by bungetsu at 15:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月19日

父の日

6月17日(日)は父の日であった。

息子は彼女とデートをしたらしい。帰りがやや遅く、私は一杯焼酎を引っかけて、早くに寝てしまった。

翌日の夜、夕食にダイニングに行くと、息子が私の前に紙袋にリボンの付いたプレゼントを持って来た。

日頃は、勉強のことなどで、息子とは冷戦状態が続いていたので、
「これは何?」
と聞くと、
「父の日だったから」
と、息子。
「親父のことは好きじゃないんじゃないの?」
と、聞くと、
「母の日に贈り物をして、父の日にあげないんじゃ、やっぱり可愛そうだからな」
と、息子はやや照れながら答えた。

やはり、喧嘩をしながらも、父のことを思ってくれていたのだな、と、心から嬉しかった。

包みを開くと、陶性のビール・ジョッキが入っていた。

これからは、ビールを呑む時は、息子の買ってくれたジョッキで呑もうと思う。

ちょっぴり嬉しいひと時であった。



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2012年02月12日

日輪の下に

今日は息子の高校で、埼玉県に数ある高校の中で応援団のある6校が集まっての演技発表会が開かれました。

春日部高校、熊谷高校、浦和高校、不動岡高校、松山高校、川越高校の6校が「日輪の下に」(にちりんのもとに)を合言葉に一同に会しての演技発表会でした。

この6校が団結して「六校応援団連盟」を結成し、毎年、会場は持ち回りで、今年で第37回を数えています。

息子は1年生ですので後方で演技をしていましたが、顧問の先生より、
「誰よりも演技が上手だ」
との声で、先輩団員に混じって1年生でただ一人リーダーとして演技を見せました。

また、プログラムにも「一年団員 川原○○」と名前も印刷されていました。

顧問の先生によると、1年生でリーダーを務めるのは初めての出来事だとか・・・。

顧問の先生や先輩たちからも認められるよう、良く成長したものだと親としても嬉しい限りでした。

しかも、私たち夫婦は午後の演技発表から見学に行き、体育館でどの椅子に座ろうかと迷っていたところ、顧問の先生が近寄って来て、一番前の来賓席に案内をされ、ビデオカメラも誰に邪魔されることなく綺麗に撮影することができました。

まさに、「役得」とはこのことかもしれませんね。

閉会式の後、私たち夫婦は帰宅しましたが、息子たちは椅子のかたずけなどで、大分遅くなってから帰宅しました。

今年の秋に行われる文化祭での演技の後は、今度は息子たちが先輩として演技を引き継ぎ新入生を指導する立場になります。

応援団とは言っても、体力作りから始まり、かなりハードな練習が続きます。

息子たちの同級生は15人位入部しましたが、一人欠け、二人欠けと、今では10人が残るのみとなりました。

今年の新入生は何人入部してくれるのか、息子もやや不安げでした。

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posted by bungetsu at 20:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする